ほねぐみロボットは、人形の中に入れることで、その人形を意思ある小さな存在として動かすひみつ道具です。お人形遊びを楽にするための道具なのに、動き出した人形たちが生活を要求し始めるところが妙に生々しいです。
お人形遊びを避けたい二人
コミック10巻の人形あそびでは、ママの友人が小さな娘のみっちゃんを連れて野比家へ来ます。ママはドラえもんとのび太に、みっちゃんと遊んであげるように言います。ところが、みっちゃんが望んだのはお人形遊びでした。
のび太とドラえもんは、お人形遊びを恥ずかしがります。そこでドラえもんが取り出したのが、ほねぐみロボットです。人形の中に入れると、その人形が自分で動き、みっちゃん一人でも遊べるようになります。ロボットペーパーが紙工作を動かす道具なら、ほねぐみロボットは既存の人形へ骨格と意思を与える道具です。
彼らはいつまで動き続けるのだろうか ドラえもん10巻 人形あそび P110:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄
人形たちの要求
最初は便利に見えますが、動き出した人形たちはただ遊ばれるだけでは満足しません。家がほしい、家具がほしい、ご飯を食べているから遊べないといった要求を始めます。人形として扱われるのではなく、小さな人間として生活したがるのです。
要求の多い人形たち ドラえもん10巻 人形あそび P111:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄
ここがこの道具の怖くも面白いところです。人形に意思を与えると、遊び相手ではなく生活者になります。小人ロボットのような小さな存在を扱う道具にも近いですが、ほねぐみロボットは人形の姿を借りているぶん、所有物と人格の境界が曖昧になります。
遊び道具から共同生活へ
人形が意思を持つと、お人形遊びの主導権は子どもから人形へ移ります。みっちゃんが遊びたい時に遊べるとは限らず、人形たちにも都合が生まれます。ご飯を食べているから遊べないという言い分は、ほとんど人間の子どもと変わりません。
人形の世界を作るという点では、実物ジオラマのような道具とも相性がよさそうです。ほねぐみロボットで動く人形に家や家具を用意すれば、小さな生活空間がそのまま成立します。遊びのはずが、ミニチュア社会の管理に近づいていくのが面白いところです。
この流れは、人間製造機ほど大きな生命倫理ではありませんが、かなり近い問いを含んでいます。動く人形を作ったら、それは物なのか、相手なのか。ドラえもんはギャグとして処理していますが、考え始めると意外に重いです。
活動時間とエネルギーの謎
ほねぐみロボットは高さ10cmほどの大きさがあり、人形の中に入って動作します。中にバッテリーや動力が入っていると考えられますが、どれくらい活動できるのかははっきりしません。小さな人形たちが家や家具を求めるなら、長時間の活動も想定されていそうです。
同じ自律型の道具としては、おもちゃの兵隊も小さな存在が命令に従って動きます。ただ、おもちゃの兵隊は護衛や攻撃に特化しています。ほねぐみロボットは生活や遊びの方向へ広がるため、より日常に入り込む道具です。
お人形遊びから逃げるために出した道具が、人形たちの生活問題を生む。便利にしたはずが、逆に相手が増えて面倒になる。その転がり方が、ほねぐみロボットの楽しいところです。
人形に意思を与える責任
ほねぐみロボットは、人形を動かすだけなら夢のある道具です。けれども、意思を持つなら話は変わります。要求があり、食事があり、住まいが必要になるなら、それはもう遊び道具ではありません。みっちゃんの遊び相手を作るはずが、世話をする相手を増やしてしまっています。
この話が面白いのは、人形たちが悪者ではないところです。彼らはただ、自分たちの生活を求めているだけです。困るのは人間側ですが、要求そのものは筋が通っています。小さな人形を動かすかわいい道具に、生活者を生み出す責任がくっついてくるのが、ほねぐみロボットの奥行きです。
小さな社会が生まれる道具
ほねぐみロボットを入れた人形たちは、ただ歩いたり話したりするだけではありません。自分たちの住まいを求め、家具を求め、食事の時間を主張します。これはもう単なるおもちゃの動作ではなく、小さな社会の始まりです。遊ぶ側だったみっちゃんが、いつの間にか生活環境を整える側へ回されているのが面白いです。
人形に骨組みを入れるという発想もよくできています。ぬいぐるみや人形は外側だけなら柔らかく、動く仕組みがありません。そこへ骨格となるロボットを入れることで、体を支え、手足を動かし、意思を持ったようにふるまえる。見た目は人形のままでも、中に入る構造で存在の性質が変わります。
この道具を大量に使えば、人形の町を作ることもできそうです。家、店、乗り物、学校まで用意すれば、小さな人形たちが生活する世界になります。夢のある使い方ですが、同時に世話の手間も増えます。遊びのつもりで作った存在が、自分たちの要求を持つようになるからです。
ドラえもんとのび太がこの道具を出した理由は、お人形遊びから逃げるためでした。けれども、道具を使ったことで遊びは楽になるどころか、より複雑になります。人形たちが自分で動けば、相手をしなくて済むという発想は浅かったわけです。意思を持つ相手は、放っておける便利な道具ではありません。
ほねぐみロボットは、人形に命を吹き込む夢のある道具でありながら、その先に生活や責任を発生させます。かわいい話のようでいて、所有物と仲間の境界を静かに揺さぶる、かなり味わい深い道具です。
みっちゃんの遊び相手として考える
みっちゃんの立場で見ると、ほねぐみロボットは最初かなり楽しい道具です。自分の人形が急に動き出し、話し相手になってくれる。子どもにとっては夢のような出来事です。のび太やドラえもんがお人形遊びを嫌がる中で、人形たちが自分で遊んでくれるなら、みっちゃんにとっては理想的に見えます。
けれども、人形たちが自分の希望を持ち始めると、遊びの主導権はみっちゃんから離れていきます。今日はこういうごっこ遊びをしたいと思っても、人形たちは食事中かもしれないし、家づくりを要求するかもしれません。相手が意思を持つということは、自分の思い通りにならないということでもあります。
この変化は、子どもの遊びが他者との関係へ変わる瞬間にも見えます。人形を相手にしている間は、すべて自分の都合で動かせます。しかし、ほねぐみロボットを入れると、相手にも都合が生まれます。遊び道具だったものが、交渉しなければならない相手になるのです。
ドラえもんとのび太は面倒を避けるために道具を使いましたが、結果としてみっちゃんはもっと複雑な相手を得ました。便利な自動化が、相手の自立を生む。ほねぐみロボットは、小さな人形遊びの中で、他者と付き合う面倒さまで描いています。



