自分の苦手なものを他人に24時間だけ移してしまう道具、それがにが手タッチバトンです。バトンで相手にちょっと触れるだけで、自分が抱えている苦手意識がそのまま相手に乗り移ってしまいます。苦手なものから一時的に解放される手段ではありますが、誰かに押しつけてしまうという倫理的な問題も内包しています。
ドラえもんにとって最悪の年
新年早々、ドラえもんが今年はろくでもない年じゃないかと嘆く場面から物語は始まります。その年がネズミ年だったため、ドラえもんはあちこちでネズミ関係のものと遭遇することになり、気が滅入るというわけです。ネコ型ロボットがネズミを苦手とするというのはドラえもんの定番設定のひとつで、初期から繰り返し描かれてきた弱点です。普段は冷静なドラえもんが顔を青くしてネズミから逃げる姿はコミックの見せ場でもあり、作者の藤子F不二雄先生がドラえもんの人間らしさを表現するために意図的に設けた設定だと言われています。
普段はのびたが頼み事をするたびにひみつ道具で助けているドラえもんですが、今回は立場が逆転しています。ネズミ年という状況を口実にしてにが手タッチバトンでのびたに苦手を移してしまおうとするのですが、のびたはそんなドラえもんの魂胆を見抜いて厳しく戒めます。苦手を他人に押しつけようとするのはずるい、というのがのびたの言い分です。いつもなら逆の立場が多いだけに、珍しい場面と言えるでしょう。
時に厳しいのびた 出典:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄「ドラえもんプラス5巻「スパルタ式にが手こくふく錠とにが手タッチバトン」P9:小学館
バトンの影響でドラえもんの代わりにネズミ嫌いを受け継いだのびたは、あらゆる場面でネズミに関するものに恐怖心を抱くようになりました。ネズミのぬいぐるみを見ただけで顔が青ざめ、ネズミ年にまつわる話題が出るたびに動悸がするほどの状態になっていたのです。自分が普段笑っていた相手の苦手がいかに深刻なものか、のびたは身をもって理解することになりました。この体験は単なるドタバタに見えますが、相手の立場になって初めてわかることがある、という深いメッセージを含んでいます。
苦手を移します
にが手タッチバトンを使うと、自分の苦手なものを相手に24時間移すことができます。バトンを持った状態で相手の体に触れるだけで効果が発揮されます。
苦手の種類を選ぶことはできず、持っている苦手意識がそのまま乗り移る仕組みです。苦手なものを丸ごと移してしまうという機能はシンプルですが、自分が何を苦手としているかを改めて認識するきっかけにもなります。苦手なものが何かをはっきり認識できなければ、バトンを使っても思ったような結果が得られないでしょう。
また、自分の苦手意識の強さについても考えてみる価値があります。ドラえもんにとってのネズミ嫌いが相当に強烈なものだったからこそ、のびたに移った苦手意識も非常に強いものになりました。苦手の度合いが弱いものなら、移された側もそれほど大きな影響を受けないかもしれません。バトンを使う前に、自分がどれほど強く苦手意識を持っているかを把握しておくことが大切です。
一時しのぎでしかないひみつ道具ではありますが、どうしても苦手なものに直面しなければならない場面で一時的に気持ちを楽にする方法として使えるかもしれません。ただし24時間が過ぎれば苦手は戻ってくるわけですから、根本的な解決にはなりません。同じ話に登場するスパルタ式にが手こくふく錠がより抜本的な克服を目指した道具であるのに対して、こちらは移し替えるだけという点が対照的です。
苦手を誰かに押しつけてしまうという点では倫理的に問題のある使い方ができてしまいますが、自分の苦手が他人にとってどれほど辛いものかを理解するきっかけとして使うなら、意義深い体験になる可能性もあります。
ほぼ強制的につかえます
苦手を移したい人がいればバトンでちょっと触れるだけで効果が発揮されます。相手の同意なしにいきなり押しつけられるわけですので、本人からすればたまったものではありません。
有無を言わさず移してしまう 出典:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄「ドラえもんプラス5巻「スパルタ式にが手こくふく錠とにが手タッチバトン」P10:小学館
本人の合意なくいきなり押しつけられるわけですので、道具の使い方としてはかなり問題があります。のびたがドラえもんに対して厳しく注意したのも、こうした一方的な使い方への反発だったのでしょう。ひみつ道具の力を使えば相手に気づかれることなく何かを押しつけることができてしまうわけですが、だからこそ使う側の倫理観が問われます。
ひみつ道具の中には相手の気持ちや状況を無視した使い方ができてしまうものが多く存在しますが、にが手タッチバトンはその典型例のひとつと言えます。アンキパンで記憶を強制的に詰め込むのも本人の意志とは無関係ですし、集中力増強シャボンヘルメットなども勝手に被せてしまえば相手の集中力を操作できてしまいます。道具の倫理的な使い方というテーマは、ドラえもんの物語の中に繰り返し登場するものです。
また、苦手を移された相手が24時間後に苦手を返してくる可能性も考慮しておく必要があります。バトンがあれば誰でもすぐに仕返しができるわけですから、安易な使い方は自分に跳ね返ってくるリスクがあります。
努力で克服しよう
にが手タッチバトンで苦手がなくなっている24時間が克服のチャンスです。
例えばドラえもんがネズミ嫌いを24時間だれかに移している時間を利用し、できるだけたくさんネズミとふれあい、ネズミを好きになるよう訓練するのです。24時間後、バトンの効果が切れた時に果たしてどういう気持ちになっているのか。この短い時間を積極的に活用できるかどうかで、苦手克服の速度は大きく変わってきます。
時間をかければ徐々に嫌いなものを克服していけるかもしれません。苦手なものをいきなり克服するのが難しいなら、おりこうターバンくんや天才ヘルメットのように頭脳を補助してくれる道具と組み合わせることで、苦手な勉強や技術の習得に役立てることもできます。
また、ワスレバットのように記憶そのものに働きかける道具もありますが、苦手意識の根本にある経験や感情を消してしまうのは、また別の問題を生む可能性があります。記憶を消すことで表面的な苦手はなくなったとしても、同じような経験に直面したときに再び同じ苦手が生まれてしまうことが考えられます。
苦手を移すより、向き合って少しずつ慣れていく方が、長い目で見れば健全な解決につながるのではないでしょうか。24時間という限られた時間を有効活用して、少しでも前進することが大切です。バトンで苦手を一時的に移している間に、その苦手と真剣に向き合う覚悟を固める。それがにが手タッチバトンの最も建設的な使い方かもしれません。
もちろん、のびたのように逃げ回っているだけでは何も変わりません。苦手がなくなっている24時間という貴重な機会を最大限に生かして、積極的に苦手なものに近づいていく行動が求められます。苦手を克服した先にある自信は、決して道具だけでは与えてもらえないものなのです。
ドラえもんのひみつ道具は、使い方次第で人を助けることも、人を困らせることもできます。にが手タッチバトンはその両側面を持った道具の代表例と言えます。苦手から一時的に逃れるという使い方と、苦手の重さを相手に理解させるための使い方、その二つの間でどのように使うべきかを考えることが、この道具との正しい向き合い方ではないでしょうか。のびたがドラえもんに対してきちんと注意できたシーンは、物語の中でのびたが道徳的に正しい立場に立てた、数少ない場面のひとつでもあります。




