ウマタケは、竹馬の形をした未来の生き物という、ドラえもんの道具の中でもかなり変わった存在です。乗り物でありながら機械ではなく、気分もプライドもあるため、ただ便利に使えるだけでは終わりません。
コミック1巻の走れ!ウマタケでは、二十二世紀の科学が馬と竹をかけ合わせて生み出した新しい生命体として登場します。竹馬を知らない子どもが増えた未来から、昔ながらの遊びをよみがえらせるように現れたところに、この道具の面白さがあります。
竹馬なのに機嫌を取らないと乗れない
ウマタケは、ドラえもんがポケットから出す一般的な機械道具とは少し違います。見た目は竹馬そのものですが、後ろからなだめながら乗る必要があり、扱い方は乗り物というより動物に近いんですよね。
のび太が汚い足で乗ろうとすると、ウマタケは容赦なく蹴り飛ばします。竹馬なら足をかけるだけで済むはずなのに、乗り手の態度や状態を見て拒否するあたり、未来の生命体らしい気難しさがあります。
よほど汚いくつ下だったのだろうか ドラえもん1巻「走れ!ウマタケ」P186:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄
この場面で面白いのは、ウマタケが単なる移動手段ではなく、相手を選ぶ存在として描かれていることです。ドラえもんの道具には空飛ぶ木馬のような乗り物系もありますが、ウマタケは乗り手との関係を作らないと動いてくれません。
その意味では、道具でありながらペットに近い立ち位置です。性能だけを見ればタケコプターの方が圧倒的に便利ですが、ウマタケには自分の機嫌をこちらが読まなければならない面倒くささがあり、そこがキャラクターとしての魅力になっています。
家の屋根を飛び越えるスピードの怖さ
一度走り出したウマタケは、家の屋根を飛び越え、のび太の髪が風でぺったんこになるほどの速度を出します。竹馬の素朴なイメージからは想像しにくいですが、二十二世紀の科学で作られた生命体だけあって、脚力はかなり強烈です。
のび太の握力が気になる ドラえもん1巻「走れ!ウマタケ」P187:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄
運動が苦手なのび太が、あの高さと速度で振り落とされずに乗っているのはかなり不思議です。ウマタケ側が乗り手を支えるような力を出しているのか、それとも一度走り出すと乗り手の体勢まである程度補助してくれるのかもしれません。
ただ、補助機能があるとしても、安全な道具とは言いにくいです。屋根の高さを走り回るなら、落下の危険は空飛ぶふろしきや空飛ぶじゅうたんと同じくらいあります。しかもウマタケは生き物なので、気分が変われば急に進路を変える可能性まであるわけです。
のび太が楽しそうにしているのは、怖さよりも新しい乗り物に乗れた喜びが勝っているからでしょう。ドラえもん初期の道具には、便利さと危なっかしさが同時に出るものが多く、ウマタケもその空気をよく残しています。
馬と竹を混ぜた未来の生命技術
ウマタケは、馬と竹をかけ合わせた生命体と説明されています。現在の感覚で見るとかなり大胆な発想ですが、ドラえもん世界の二十二世紀では、機械だけでなく生物そのものを設計する技術も進んでいるようです。
ニンジンを食べ、最後にはジャイアンの家で馬糞までしているので、体の仕組みはかなり馬寄りに見えます。それでいて外形は竹馬そのものなので、見た目のユーモアと生物としての生々しさが同居しているんですよね。
ここで思い出したいのが、生命や動物の姿を変える道具です。たとえば動物変身ビスケットは人間の姿を動物風に変えますが、ウマタケは最初から新しい生き物として成立しています。道具として使う以前に、存在そのものが未来科学の成果なんです。
この設定はかなり奥行きがあります。ドラえもんはロボットでありながら感情豊かですが、ウマタケはロボットですらなく命を持つ存在です。だからこそ、ただ足を乗せる道具として扱うと反発されるし、のび太も気分を合わせながら乗る必要があるのでしょう。
竹馬が廃れた未来で作られた意味
ウマタケの背景として重要なのは、二十二世紀には竹馬が流行らないというドラえもんの発言です。未来では昔ながらの遊びが忘れられ、あえて新しい生命体にして復活させるほど、竹馬という文化が遠いものになっているのかもしれません。
廃れゆく日本の文化 ドラえもん1巻「走れ!ウマタケ」P185:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄
普通に考えれば、竹馬を復活させたいなら昔の竹馬を作れば済みます。それなのに馬の性質を足してしまうところが、ドラえもん世界の未来人らしい過剰なサービス精神です。遊びを便利にするどころか、遊びそのものを新しい生き物へ作り替えてしまう発想がすごいんですよね。
同じ室内・遊び系の道具でも、箱庭スキー場やいつでもスキー帽は環境を再現する方向に進みます。ウマタケは環境ではなく遊び道具そのものを進化させているため、どこか伝統文化の保存と未来科学の悪ノリが混ざったような味があります。
乗りこなす楽しさを残した未来道具
ウマタケを便利な乗り物としてだけ見ると、弱点が目立ちます。機嫌を損ねると蹴られ、速度が出すぎると危なく、食べ物も必要で、世話まで発生します。移動手段としてなら、もっと安全で扱いやすい道具がいくらでもあります。
それでもウマタケが魅力的なのは、乗りこなすまでの過程が残っているからです。タケコプターなら頭につけて飛ぶだけですが、ウマタケはまず相手の気持ちを読まなければなりません。走り出したあとも、体を預け、バランスを取り、振り落とされないように踏ん張る必要があります。
この手間は、遊びとしては大切です。昔の竹馬も、最初から自由に歩けるものではありません。何度も落ち、足をかける位置を覚え、少しずつ歩ける距離が伸びていくから楽しい。ウマタケは未来の生命体でありながら、そうした昔の遊びの不自由さを残しています。
のび太は運動が苦手ですが、ウマタケに乗っている時は意外なほど楽しそうです。自分の力だけではできないことを、道具の力を借りながら体験できる。ここにドラえもんの道具らしい夢があります。完全に自動で目的地へ連れていく乗り物ではなく、のび太自身が参加している感じがあるんですよね。
同じ乗り物でも、ミニ飛行機やしゅんかん移動潜水艦は移動のスケールを広げる方向の道具です。ウマタケは距離よりも、乗る感覚そのものを楽しませる道具です。だから用途は狭くても、読者の記憶に残りやすいのだと思います。
初期ドラえもんらしい少し乱暴な夢
ウマタケが登場する1巻のころは、ひみつ道具の発想が今よりも素朴で、少し乱暴な勢いがあります。竹馬を未来の生命体にするという飛躍も、その初期らしさのひとつです。説明は短いのに、読者の頭の中では、二十二世紀の生物工学や子どもの遊びの変化まで広がっていきます。
また、ウマタケはのび太の欠点を完全に消す道具ではありません。運動が苦手なのび太でも乗れますが、気を抜けば危ないし、相手に嫌われたら乗ることすらできません。不得意を道具で補いながらも、本人の行動が結果に響く。このバランスが、ドラえもんの面白さを支えています。
未来では竹馬が廃れているという設定も、今読むと少し寂しさがあります。便利な遊びや映像体験が増えるほど、体を使って覚える昔の遊びは薄れていく。だからこそ、未来人はただ竹馬を再現するのではなく、子どもがもう一度興味を持つように、馬の勢いと生き物らしさを加えたのかもしれません。
ウマタケは、便利さだけなら一流ではありません。けれども、古い遊びを未来の技術で少し変な方向へよみがえらせる道具としては抜群です。そこには、過去をただ保存するのではなく、未来の子どもが遊びたくなる形へ作り直すという、ドラえもん世界らしい前向きな乱暴さがあります。
最終的にウマタケは、便利な移動手段というより、失われた遊びを未来流に再解釈した存在として見る方がしっくりきます。扱いづらく、気位が高く、時には危険でもあるのに、のび太が夢中になるのは、そこに自分の体で乗りこなす楽しさがあるからです。
ドラえもんのひみつ道具は、何でも自動化して楽にするだけではありません。ウマタケのように、わざわざ面倒な手触りを残した道具があるから、未来の世界もどこか人間くさく見えるのです。






