シナリオライターの強制力がこわい。書いた筋書きを現実にする危ない道具
シナリオライターは、書いた台本を現実の人間に演じさせるひみつ道具である。見た目は大きめのライターのようで、紙に書いたシナリオを差し込み、火をつけると効き目が出る。火が燃えているあいだ、シナリオに名前を書かれた人物は、本人の意思とは関係なく行動し、台詞まで読まされる。
この道具のこわさは、未来を予言する機械ではなく、未来を押し付ける機械である点にある。たとえばさいみんグラスは相手の意識に働きかける道具だが、シナリオライターは周囲の出来事そのものを舞台に変えてしまう。書き手が幼稚でも、誤字だらけでも、その文章が現実を動かす命令になってしまうため、失敗の責任がそのまま外へ広がる。

ドラえもん8巻ライター芝居P14:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄
道具の基本機能
シナリオライターの使い方は単純である。まず紙に登場人物と筋書きを書く。次に、その紙をライター本体に入れて火をつける。すると、そこに書かれた人物は芝居の登場人物のように動き出す。内容に合わせて場所へ移動し、指定された台詞を口にし、筋書きどおりの役割を果たしてしまう。
効果は永続ではなく、火が消えたり、シナリオが終わったりすれば止まる。逆に言えば、燃えている最中はかなり強い拘束力を持つ。本人が嫌がっても、書かれた内容に引っぱられる。ドラえもんはこの力を利用して、のび太を机に向かわせ、ママがいないあいだでも勉強させようとする。道具の使い方としてはわかりやすいが、本人の意思を無視しているため、かなり強引な教育である。
ドラえもん自身も便利さに少し流されている。のび太に貯金を持ってどら焼きを買わせる筋書きを書きかける場面があり、ひみつ道具の使用目的が勉強から私用へすぐ傾きかける。ここがシナリオライターらしい危うさだ。紙に書くだけで相手を動かせるなら、使う側の欲望がそのまま命令になってしまう。
ライター芝居で起きた混乱
のび太はシナリオライターを使い、西部劇風の物語を作る。自分を正義の主人公にし、しずかちゃんを助けるヒロイン役に置き、ジャイアンとスネ夫を悪役にする。構図だけなら子どもらしい空想で、好きな人の前で格好よく見せたいという気持ちもわかる。しかし、道具が本当に人を動かすため、ただの妄想では済まない。
問題は、のび太の文章力である。シナリオライターは書き手の意図を親切に補正してくれない。書かれた文字をそのまま現実に反映する。おじょうさんと書きたいところをおしょうさんにしてしまったり、まっかな血のつもりがまっかな皿になったりする。誤字が笑いになるだけならまだよいが、道具はその誤字まで忠実に実行する。

ドラえもん8巻ライター芝居P16:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄
この場面では、ひみつ道具の万能性よりも、入力の雑さが強調される。ギシンアンキのように心の受け取り方をゆがめる道具も厄介だが、シナリオライターは文章の一文字がそのまま事件になる。のび太のように勢いで書くタイプが使えば、本人にも予想できない方向へ話が転がる。
さらに、のび太はしずかちゃんが自分についていく展開を狙うが、のび犬と書いてしまう。すると、しずかちゃんはのび太ではなく、のび犬という犬についていくことになる。この犬はジャイアンとスネ夫に引っぱられて胴が長くなってしまい、見た目まで奇妙な役を背負わされる。人間だけでなく動物まで巻き込む点も、道具の影響範囲の広さを感じさせる。
願望を物語にすると危ない
シナリオライターは、のび太の願望をそのまま物語の形にする。自分が主人公で、しずかちゃんが自分を頼り、ジャイアンとスネ夫が悪役になる。これはのび太の内面をかなり正直に映している。普段の力関係を反転させたい、好きな子に認められたい、自分を軽く見る相手をやっつけたい。子どもの空想としては自然だが、現実の他人を材料にした時点で危険な脚本になる。
似た発想の道具に、相手の行動を都合よく変えるソノウソホントや、状況をあとから確認できるタイムカメラがある。ただ、シナリオライターは確認や誘導ではなく、物語として強制する。筋書きに入れられた人物は、その場で役を与えられ、日常の自由を失う。笑いの場面に見えて、やっていることはかなり乱暴である。
ドラえもんが最初に勉強へ使ったことも重要だ。宿題をしないのび太を動かすためなら多少の強制も仕方ない、という空気がある。しかし、同じ仕組みはすぐにどら焼きの購入や恋愛芝居へ転用できる。目的が少し変わるだけで、教育道具から支配道具へ姿を変える。使う人の倫理観が、そのまま道具の危険度になる。

ドラえもん8巻ライター芝居P21:小学館てんとう虫コミックス藤子F不二雄
文章力がそのまま安全性になる
この道具を安全に使うには、まず文章が正確でなければならない。誰が、どこで、何をするのか。いつ終わるのか。関係ない人を巻き込まないか。台詞に誤字はないか。普通の作文なら笑って直せば済むが、シナリオライターでは誤字が現実の事故になる。のび太の失敗は、道具の欠陥というより、入力する側の未熟さが大きい。
だからこそ、この道具は脚本を書く楽しさと、他人を脚本に閉じ込めるこわさを同時に見せている。創作は本来、自分の頭の中で世界を動かす遊びである。けれどもシナリオライターは、その世界を現実の人間に押し付けてしまう。のび太が主人公になりたがるほど、周囲は役を割り振られて不自由になる。
作品として面白いのは、道具の力が強いのに、失敗の原因が派手な悪意ではなく、のび太の雑な作文にあるところだ。ひみつ道具は便利だが、使う人の考え方や言葉の正確さを超えてはくれない。シナリオライターは、未来を書き換える道具であると同時に、下手な筋書きほど現実をめちゃくちゃにする道具でもある。
使うなら細かい制限が必要
もしシナリオライターを本気で使うなら、かなり厳密なルールが必要になる。対象者の同意、効果時間、場所、危険行動の禁止、誤字の自動停止などがなければ、すぐ事故につながる。のび太のように思いつきで書いた脚本をそのまま燃やす使い方は、現実を編集する道具としては危うすぎる。
たとえば、勉強のために使う場合でも、机に向かう、教科書を開く、一定時間で終わる、体調が悪ければ止まる、というような条件が必要になる。買い物や恋愛に使うなら、さらに問題は大きい。相手の財産や感情に関わる行動を、紙一枚で命令できてしまうからだ。ドラえもんがどら焼きの件で踏みとどまったのは、軽い場面に見えてかなり大事である。
また、シナリオライターは書き手の想像力を増幅する道具でもある。きちんとした脚本を書ける人が使えば、演劇の練習や避難訓練、危険な作業のリハーサルなどに応用できる可能性はある。けれども、そこでも本人の意思を奪う点は残る。便利な訓練道具に見えても、使われる側からすれば、勝手に体を動かされる体験である。
この話が印象に残るのは、シナリオという創作の言葉と、ライターという火をつける道具が合わさっているからだ。紙に書いた空想へ火をつけると、現実が燃えるように動き出す。のび太の幼い願望がそのまま周囲を巻き込み、最後にはしずかちゃんが犬についていく異様な光景になる。笑える失敗でありながら、言葉を雑に扱う怖さまで見えてくる道具である。
もう一つ見逃せないのは、シナリオライターが書き手を主人公にしやすい道具だという点である。のび太は自分に都合のよい役を用意し、周囲をそのための配役にしてしまう。これは子どもの空想としては自然だが、現実の人間に当てはめると相手の生活を奪う。誰かを悪役に書けば、その人は悪役として動かされる。誰かを味方に書けば、その人は味方の役を押し付けられる。
だから、シナリオライターは文章のうまさだけでなく、他人を見る態度も試す道具である。自分の願望だけで書けば、必ず周囲をゆがめる。相手の事情や気持ちまで考えなければ、どれほどきれいな筋書きでも乱暴になる。のび太の失敗は、誤字の失敗であると同時に、自分中心の物語を現実へ持ち込んだ失敗でもある。


